どーも!全力坊主です!
私はどこにいるかというと美人武者の後ろにいます。
気合いがオーバーフローしているスキンヘッドのオッサン。
これが私「全力坊主」であります。
歴史的魅力が満載と自負する「鹿児島県日置市」。
この魅力をド直球なアプローチでPRしようと結成されたのが「ひおきPR武将隊」であります。
なんと日置市の職員を中心に結成したボランティア集団なんですねー。
この武将隊のPR画像の背景にある銅像が今回の主役!
島津義弘公!!!
躍動感のあるこの銅像。彫刻家中村晋也氏が作成したものであります!
日置市の玄関口である「JR伊集院駅」にただならぬ存在感を放つこの銅像。
世界一カッコいい騎馬像だと思ってます。
義弘公は、島津四兄弟の次男。
祖父、島津日新斎忠良(のちの日新公)から「雄武英略を以て傑出す」と評された義弘は、数々の戦で武功をあげ「鬼島津」の異名で恐れられたのであります。
※島津義弘画像(尚古集成館蔵)
ここで、島津義弘公と日置市の関係をサクッと紹介します。
①生まれた場所
「日置市吹上町の伊作城」
②幼少期〜青年期を過ごした場所
「日置市伊集院町の一宇治城」
③義弘公の菩提寺である妙円寺がある場所
「日置市伊集院町」
この菩提寺である「妙円寺」が我が町最大の歴史的魅力になるのであります。
それは、日置市伊集院町が現在まで妙円寺詣りを守り続けている町だということ。
なんと400年以上ですよ!
これマジで凄いっす!
■妙円寺詣りとは
江戸時代の初頭、鹿児島城下の武士たちが関ヶ原の合戦があった日に、甲冑に身を固め妙円寺に参拝したことからはじまったとされる行事。これが鹿児島3大行事の一つ「妙円寺詣り」であります。
島津の退き口を後世に伝えるもので、あの西郷さんや大久保さんも参加。
薩摩のスピリッツを現代に伝える薩摩隼人にとってはめちゃくちゃ大事な伝統行事なんですね!
ひおきPR武将隊で、妙円寺詣りを実施。
鹿児島市から徳重神社までの22キロを歩いた時の様子。
甲冑着て歩く22キロはなかなかに大変!
妙円寺詣り最大の見どころである武者行列。めちゃくちゃ憧れます。
日置市吹上町にある伊作城跡。ここで島津四兄弟は誕生しており誕生石が設置されてます。
戦国時代の島津家は「戦国島津」と呼ばれており、ここ吹上町伊作からこの歴史ははじまります。
私だけではなく、日置市民・鹿児島県民の多くが愛する郷土の偉人「島津義弘」。
「鬼島津」と言われながらも、
・奥さんに戦地からラブレターを送りまくったり
・家臣から親しまれまくったり
・猫を可愛がりまくったり
とホッコリエピソードも多い義弘公です。
みなさん!日置市の激推し武将「島津義弘公」に大注目です!
私はどこにいるかというと美人武者の後ろにいます。
気合いがオーバーフローしているスキンヘッドのオッサン。
これが私「全力坊主」であります。
歴史的魅力が満載と自負する「鹿児島県日置市」。
この魅力をド直球なアプローチでPRしようと結成されたのが「ひおきPR武将隊」であります。
なんと日置市の職員を中心に結成したボランティア集団なんですねー。
この武将隊のPR画像の背景にある銅像が今回の主役!
島津義弘公!!!
躍動感のあるこの銅像。彫刻家中村晋也氏が作成したものであります!
日置市の玄関口である「JR伊集院駅」にただならぬ存在感を放つこの銅像。
世界一カッコいい騎馬像だと思ってます。
義弘公は、島津四兄弟の次男。
祖父、島津日新斎忠良(のちの日新公)から「雄武英略を以て傑出す」と評された義弘は、数々の戦で武功をあげ「鬼島津」の異名で恐れられたのであります。
※島津義弘画像(尚古集成館蔵)
ここで、島津義弘公と日置市の関係をサクッと紹介します。
①生まれた場所
「日置市吹上町の伊作城」
②幼少期〜青年期を過ごした場所
「日置市伊集院町の一宇治城」
③義弘公の菩提寺である妙円寺がある場所
「日置市伊集院町」
この菩提寺である「妙円寺」が我が町最大の歴史的魅力になるのであります。
それは、日置市伊集院町が現在まで妙円寺詣りを守り続けている町だということ。
なんと400年以上ですよ!
これマジで凄いっす!
■妙円寺詣りとは
江戸時代の初頭、鹿児島城下の武士たちが関ヶ原の合戦があった日に、甲冑に身を固め妙円寺に参拝したことからはじまったとされる行事。これが鹿児島3大行事の一つ「妙円寺詣り」であります。
島津の退き口を後世に伝えるもので、あの西郷さんや大久保さんも参加。
薩摩のスピリッツを現代に伝える薩摩隼人にとってはめちゃくちゃ大事な伝統行事なんですね!
ひおきPR武将隊で、妙円寺詣りを実施。
鹿児島市から徳重神社までの22キロを歩いた時の様子。
甲冑着て歩く22キロはなかなかに大変!
妙円寺詣り最大の見どころである武者行列。めちゃくちゃ憧れます。
日置市吹上町にある伊作城跡。ここで島津四兄弟は誕生しており誕生石が設置されてます。
戦国時代の島津家は「戦国島津」と呼ばれており、ここ吹上町伊作からこの歴史ははじまります。
私だけではなく、日置市民・鹿児島県民の多くが愛する郷土の偉人「島津義弘」。
「鬼島津」と言われながらも、
・奥さんに戦地からラブレターを送りまくったり
・家臣から親しまれまくったり
・猫を可愛がりまくったり
とホッコリエピソードも多い義弘公です。
みなさん!日置市の激推し武将「島津義弘公」に大注目です!
コメント