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陶工の精神的支柱!400年以上の想いを感じ取る!

■マニフェスト
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玉山神社は,朝鮮陶工たちの故郷の神「檀君(だんくん)」を祀ったのが始まりと言われています。
hioki2022 (58)
(5) ひおきの歴史と描かれた世界。 - YouTube

これまで美山の住民で守り続けてきた神社が玉山神社。
私は行ったことはないのですが、玉山神社よりもまだ上に登った頂上あたりに「望郷の碑」といわれる石碑があり、東シナ海を一望しながら故郷である朝鮮に想いを馳せていた場所があったと聞いたことがあります。
この神社も同じく、故郷「朝鮮」に対する想いが込められた場所で、精神的支柱として400年以上、美山(苗代川)の人々を見守り続けています。

また,玉山神社参道脇には江戸後期の薩摩藩における財政改革を成功させた調所笑左衛門広郷と調所の指示を受けて陶工たちを指導した村田堂元甫阿弥の招魂墓があります。
調所墓
薩摩藩の財政立て直しに貢献した「調所広郷」。

その財政立て直しに貢献したものが「薩摩焼」で、苗代川の陶工を大切にしていたといわれており、陶工は調所に感謝していたといわれます。

しかし、調所は罪人の汚名をきせられたまま江戸で亡くなります。
調所の家族も不遇な処遇を受けてしまう中、江戸に調所の遺品を引き取りにきた者がいました。
その者こそが、苗代川陶工の代表者だったとのこと。
薩摩から江戸まで引き取りに行ったんですね…。

苗代川の人々は、調所の死を大いに悼みました。
代表者を江戸まで派遣して、調所に哀悼の意を示したとのこと。
そしてそれを埋めて、調所を弔うための質素な墓を作った…。

私はこのエピソードを知った時、マジで目に涙が溢れてきました。
幕末薩摩の財政を立て直した調所広郷が一家離散~なぜこんな仕打ちが? - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) (bushoojapan.com)

ぜひ、このようなエピソードも込みで、玉山神社周辺を散策してみませんか。


 

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