だいぶ前のこと、街中を歩いていると聞き覚えのある音楽が聞こえてきました。懐かしいその歌は、ふるさと鹿児島の「おはら節」。しかし、私は一瞬耳を疑いました。なぜならその場所は、東京の、しかも渋谷だったからです!
大学時代を東京で過ごした私は、その時初めて「渋谷おはら祭り」なるものが行われていることを知りました。東京のど真ん中で故郷のお祭りが盛大に行われる、こんな嬉しいことはありません。そして郷愁の念が胸に宿ったのを覚えています。
あれから20年、ようやくその渋谷おはら祭りに参戦することができました。日置市出身のメンバーで構成される「日置地区連」。そこに甲冑を着て、ひおきPR武将隊としての参戦です!
沿道からは多くの方に声をかけていただきました。そのほとんどは外国の方でしたが、なかには日置市出身の方たちもいました。「日吉のどこどこから嫁いできたのよ」とか「学生まで伊集院に住んでいました」とか。遠く離れたこの場所でも、日置市との絆をしっかりと感じることができました。
もともと、かつての渋谷区長が鹿児島出身だったとかで、この渋谷おはら祭が開催されるようになったとか聞いたことがあります。遠く離れた場所でもしょせんは同じ日本です。約1000キロの隔たりは、人と人との絆にとってなんの障害にもなりません。
甲冑姿でせいいっぱい踊りましたよ。
うろ覚えでのスタートでしたが、後半にはぴったり息もあってきて。疲れなんて感じません。
この渋谷おはら祭りでは数ある踊り連のなかから入賞団体が選ばれます。
入賞団体の中に「日置地区連」の名前が呼ばれたときはみんなで声を上げて喜びました!
結果は、、、「敢闘賞」。
感涙です!
それは一生懸命踊りましたから。
また来年、今度は優勝を狙うことを誓いつつ、みんなで喜びあいました。
大都会の一角でふるさとの祭りを味わえる。これはけっこう素晴らしい体験だと思います。
石川啄木で言えば、ふるさとの訛懐かし…と歌われるのですが、みなさんも大都会の人ごみの中に”そ”を聞きに来てはいかがでしょうか。
今回の記事は、日置市に住む私「Yoshihisa」目線の「渋谷おはら祭」レポート。
次回、東京在住の「ひおきPR武将隊」メンバー「新納旅庵」のレポートを発信します。
ぜひお楽しみください。
結びに…
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大学時代を東京で過ごした私は、その時初めて「渋谷おはら祭り」なるものが行われていることを知りました。東京のど真ん中で故郷のお祭りが盛大に行われる、こんな嬉しいことはありません。そして郷愁の念が胸に宿ったのを覚えています。
あれから20年、ようやくその渋谷おはら祭りに参戦することができました。日置市出身のメンバーで構成される「日置地区連」。そこに甲冑を着て、ひおきPR武将隊としての参戦です!
沿道からは多くの方に声をかけていただきました。そのほとんどは外国の方でしたが、なかには日置市出身の方たちもいました。「日吉のどこどこから嫁いできたのよ」とか「学生まで伊集院に住んでいました」とか。遠く離れたこの場所でも、日置市との絆をしっかりと感じることができました。
もともと、かつての渋谷区長が鹿児島出身だったとかで、この渋谷おはら祭が開催されるようになったとか聞いたことがあります。遠く離れた場所でもしょせんは同じ日本です。約1000キロの隔たりは、人と人との絆にとってなんの障害にもなりません。
甲冑姿でせいいっぱい踊りましたよ。
うろ覚えでのスタートでしたが、後半にはぴったり息もあってきて。疲れなんて感じません。
この渋谷おはら祭りでは数ある踊り連のなかから入賞団体が選ばれます。
入賞団体の中に「日置地区連」の名前が呼ばれたときはみんなで声を上げて喜びました!
結果は、、、「敢闘賞」。
感涙です!
それは一生懸命踊りましたから。
また来年、今度は優勝を狙うことを誓いつつ、みんなで喜びあいました。
大都会の一角でふるさとの祭りを味わえる。これはけっこう素晴らしい体験だと思います。
石川啄木で言えば、ふるさとの訛懐かし…と歌われるのですが、みなさんも大都会の人ごみの中に”そ”を聞きに来てはいかがでしょうか。
今回の記事は、日置市に住む私「Yoshihisa」目線の「渋谷おはら祭」レポート。
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