日置市による、妙円寺詣りをご存知だろうか。
毎年10月第4土日に「妙円寺詣り」が行われ、江戸時代から続く歴史行事となっている。
2019年には二十余年ぶりに一般募集が行われた。
だが、2020年、新型コロナウイルス感染症蔓延により、全国的に軒並みイベントが中止された。妙円寺詣りは戦後数年間を除き開催されているが、ここにも余波は押寄せた。
かろうじて全面中止は免れたが、土曜日は休止、日曜日も武者行列のみと大幅に縮小された開催となった。
それで終わらせないのが薩摩、島津だ。
この困難だからこそ、島津の退き口の労苦を忍ばんと、原点に立ち返る時だと、敢行したのがひおきPR武将隊による「妙円寺詣り the origin」。
鹿児島市御楼門(照国神社)を夕刻に出発し、夜間に詣るのが源流。かつての大久保利通卿も夕刻に経ち、妙円寺詣りを行ったと残っている。
参考サイト今回は鹿児島市内にある御楼門から、日置市内にある徳重神社までの約21キロを徒歩で移動する。途中、市境付近は山越えとなる。
ましてや、今回は20キロの甲冑を着ける。充分な対策が必要だ。
地下足袋を新調
お馴染みの地下足袋はエアー入りを新調した。これまでも使用していたが5年以上前のものであった。エアー入りで足への負担が軽減される。
おおよその経路は以下の通り。
(16:00出発)
御楼門
↓
武岡小
↓旧薩摩街道
武岡
↓ (以下日置市)
チェスト館
↓
(株)太陽化学(現 アサヒプリテック(株))
↓旧薩摩街道
清藤公民館
↓
伊集院インター
↓
伊集院駅
↓
徳重神社
(22:15着予定)
googlemapはこちら。一部異なりますがあくまで参考として
前準備~御楼門へ移動
・午後の早い時間に日置市役所に集合。そこで皆着替えて移動となった。
・鹿児島市の御楼門へ移動中、実際に歩く(戻る)道を通ったが、すでに自主的にウォークラリーをしている人がちらほら見かけた。
出発~御楼門
・出発地には多くの取材陣。出陣直後の映像は県内で放送された。
・「妙円寺詣りの歌」をエンドレスで歌いながら歩く。22番まである長い歌だ。
・平日の夕刻。武将の姿で市内を歩くという、なかなか見ない光景だが、ちらほら声援が響くのはやはり鹿児島、といったところ。
・街中だけあってかなり歩きやすく、平坦な道が続いていた。
武岡~道が狭くなり、心臓破りの坂が現れる。
・日置市から鹿児島市の間は山越えとなる。
・武岡付近から坂がきつくなり、急な登り坂が長く続くようになる。
・通常のウォーキングでもきついのに、甲冑+エンドレス妙円寺詣りの歌に加えてペースも早い。早々に限界が迫る。
・今思えば、この辺りが一番きつかったかもしれない。
坂が急であることが分かる。
日没~206号線を歩く
・鹿児島市内で日没を迎える。
・辺りは真っ暗なため、提灯と懐中電灯が頼りだ。
・206号線は交通量が多く、車はもちろん、回送のバスやトラックもひっきりなしに通る。
・道幅も狭く、当時以上の苦難であった。
チェスト館〜そして日置市へ
・日置市に差し掛かるころには下り坂が増えた。
・道幅も広く、行程の中では割と歩きやすい。
・月も出ており、街灯が少ないことからも綺麗に映えたが、急に冷え始める。
後日、付近をバス車内から撮影。伊集院駅からチェスト館経由の鹿児島行きのバスが通る
旧薩摩街道〜舗装が無くなり、いにしえの路へ
・そのまま下り坂を降りればゴールだが、今回は当時の道を歩くことが目的。途中から旧薩摩街道へ。舗装が無くなり、砂利だらけの足場の悪い下り坂となる。
・辺りは完全に真っ暗。妙円寺詣りの歌だけが辺りにこだましていた。
伊集院インター〜そして伊集院駅へ
・伊集院インターあたりからは、また通常のアスファルトに戻ったが、下り坂が足への負担となったか、痛みでペースが落ちる。
・鹿児島本線の踏切を渡ると、そこは伊集院駅。ペースは落ちたが歌は最後まで絶えなかった。絶えてはならないと思った。
・しばしの休憩ののち、ゴールの徳重神社へ。
22時20分頃〜徳重神社へ無事、帰陣
・鹿児島市内の御楼門を16時に出発し、6時間半程度で日置市 徳重神社に到着。
・誰一人脱落者もなく、辿り着いた。
万感の思いで境内へ踏み入れる
帰陣を義弘公に報告
普段は閑散とした境内にも多くの人影
ゴール後の万感の思いと達成感で満たされた後は、足が痛くてまともに歩けなかった。
足の裏に湿布を塗布しまくって就寝したが、柔らかいカーペットすら歩くのが辛いほどだった。
ただ翌日は徳重神社を訪れる多くの客人、鹿児島市内から歩いてきた客人、そして多くの参陣する武者を出迎えなければならない。
その模様はまた後日談にて書き加えたい。
結びに…
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