※この記事は2020年10月に行われた、ひおきPR武将隊による「妙円寺詣り the origin」後日談である。


ひおきPR武将隊による、妙円寺詣りthe originはご覧いただけただろうか。


朝起きると、昨日の湿布が効いたのか、足の痛みは前日からかなり良くなっていた。これなら歩けそうだ。


徳重神社では参拝客を出迎えていた

・コロナ禍真っ只中にもかかわらず人が多い。これでも行事が軒並み中止され、人が少ないらしい。確かに、この一年前は参拝客で参道が埋めつくされていた気がする。

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2019年の妙円寺詣り当日。

・本日の任務は参拝客のおもてなしと出迎えである。前日の疲れもまだあったが、それでも朝早くに集まり、武将へと姿を変えていく。
・前日の遠行はなんと現地新聞のトップ記事となっていた。


真打登場。次々と武者が帰陣する


・徳重神社でおもてなしを行なっていると、甲冑姿の武者が目につくようになった。
・各地域を経った団体が次々と徳重神社に帰陣する。なかには隣のいちき串木野市からの団体もあった。
・そして、お待ちかねの真打の帰陣である。
以下写真は2021年の妙円寺詣りの写真である。

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黒熊(こぐま)、白熊(はぐま)に陣羽織。かつての隊長に先導され帰陣


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次々と帰陣。
・武者が続々と社殿の中へ入っていく。大きな書状を広げ、読み上げを行う祭文奏上が行われる。

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祭文奏上

・関ヶ原での敵中突破、そして薩摩へのあまりに長い帰陣。途中ではぐれた者、命を落とした者も多く、薩摩に辿り着いた者はほんの僅かである。その苦行を、栄光を讃えた動きが妙円寺詣りである。
・関ヶ原での苦難を、その後の徳川の時代になっても決して忘れない。舐めた辛酸も屈辱も悲劇もすべて次へのチカラへと変える。そのチカラが原動力となり、大きな渦潮となり、267年後に明治維新という形で果たした。

注 多少の意訳は混じっているが、祭文には上記内容が含まれている。この地に伝わっている考えとして捉えていただければ幸いである。


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集合写真


戻ったあとは・・・

・最後まで見届けたい気持ちもあったが、飛行機の時間が迫っている。手早く片付けると伊集院駅を後にした。伊集院駅始発の電車で、発車までの間、鉄砲の轟く音が聞こえてきた。
・鹿児島からも遠い。だが、確実に鹿児島の島津の武士の魂が感じられる祭事である。一度は足を運ぶことを勧めたい。



結びに…

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