本記事は鹿児島県日置市・岐阜県不破郡関ケ原町兄弟盟約60年記念記事である。
関ヶ原に降り立った。
駅前は前日までの暖かな陽気から変わり、冬を思わせるような冷たい風が打ち付けていた。
長大ホームに停まった4両編成の米原行き
まさに東西決戦を思わせる武将の組み合わせ
関ヶ原へ続く道
平日朝ではあったが、関ヶ原駅を降りた乗客は思ったよりも多い。史跡巡りやハイキング参加者が多かった。駅前からはレンタルサイクルに乗って出陣する家族連れも見られた。なお、この日のレンタルサイクルはすべて出払っているとのこと。
まず向かう場所は南東方向。烏頭坂だ。
漫画ドリフターズで知られる島津豊久公の最期の地。今年、兄弟盟約60周年を記念して、伊集院駅近くの観光案内所では、ドリフターズの原画展が行われた。
島津義弘公のモデルコースにも選ばれているが、関ヶ原駅から約2キロと離れている。この日は徒歩で行く距離が多かったため、ちょうど行き帰りにバスを利用した。
烏頭坂。島津豊久公最期の地。墓前には献花と祭文が奉納されていた。
島津の幟旗が穏やかになびく。この天気を覚えて欲しい。
烏頭坂。義弘公を逃すため自らが囮となり(捨て奸)、この地で亡くなったとされる。31年の人生は大半が戦であった。今、この地は周りを住宅地に囲まれ、穏やかな時間が流れている。
気持ちを鎮め、そっと手を合わせた。
この地に導いてくださった感謝を伝えたところ、ポツリ、ポツリと頬に滴が流れ落ちた。
いや、これは雨だ。
あれだけ日差しがあったのに、空は暗い。
島津雨、もとい島津時雨だ。
冷たい風に乗って、雨雲が流れてきたようだ。
帰りのバス停に着いたときには本降りになった。
島津時雨が上石津の地を打つ
薩摩隼人の血を引く者が久方ぶりに訪れたので嬉しかったのかもしれない。
トタンの屋根に打ち付ける雨の音を聞いていると関ヶ原駅行きのバスが来た。
なお、烏頭坂最寄りは名阪近鉄バス「門前口」だ。本数が少ないため朝の9時頃を勧める(令和5年11月現在)。他はレンタサイクルで伊勢街道を行く方法もある。
続いて向かったのは島津陣跡である。
途中、地元の小学生が課外授業か、各史跡ですれ違った。
この坂を登れば島津の陣
敵中突破、それは背進を最強の武器に変えた決断
畑の真ん中から分かれた道を曲がり、坂を登ると島津陣だ。いたって静かな場所ではあるが、轟と鳴る風が音とともに建てられた石碑の間を通り抜けた。ここでもポツリと雨滴が落ちてきた。
島津史跡に行くと島津雨が降る。
この翌日も行ったが、雨が降った。
この季節は特に天気が変わりやすい。
雨具は必要だろう。
日置市(旧伊集院町)で毎年行われている関ヶ原踏破隊にも触れられており、参加者が石碑に刻まれていた。
踏破隊参加者が刻まれた石碑。前市長やひおきPR武将隊のメンバーの名前も。
踏破隊については、別途こちらの記事を参考にされたい。
今も涸れることなく湧き続けている
また、薩摩の跡が見られるのは史跡だけではない。町のいたるところで家紋である丸十字を見ることができる。
交通安全も島津。赤になっても信号の敵中突破はNG
消火用ホースの格納箱にも丸十字
また関ヶ原町内を通る、県道56号線の通称名は薩摩カイコウズ街道である。烏頭坂の近く(前述のバス停がある通り)も通っている。
鹿児島県と岐阜県の姉妹県盟約20周年を記念して平成3年に整備されたのがこの県道だ。この通り沿いには鹿児島県の木であるカイコウズ(アメリカデイゴ)が植えられているという。カイコウズの花言葉にある「夢、活力、童心」のように互いの夢が活力となるよう、今後も関係が続くことを願ってやまない。
開戦地の旗は今日も上がり続ける
余談だが、この日の徒歩での移動距離は10.1キロ。妙円寺詣りで鹿児島市内〜徳重神社の約半分にあたる。
島津豊久碑
〒503-1602 岐阜県大垣市上石津町牧田764
島津義弘陣跡
〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原1961−4
結びに…
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