
突如放たれた矢。放ったのは徳川か、黒田か、はたまた…?!

突然現れたコールダック。お主、島津に付くか?
突如現れた、矢が刺さった陣盾。
ここは一体何処だ。

本記事は鹿児島県日置市・岐阜県不破郡関ケ原町兄弟盟約60年記念記事である。
前編の薩摩由縁の史跡巡りはこちら
ここは関ヶ原である。
島津陣に立ち寄った後に、今回一番心待ちにしていた場所があった。
関ヶ原戦国甲冑館である。
ただの甲冑展示施設ではない。個人所有の本歌の甲冑が約40領展示されている。
すでに8キロ以上歩いていたが、軽い足取りで行った先には、

住宅地に現れた幟旗の数々。小径に入っていくと

おおぅ、と圧倒されながら入った
※令和5年11月24日撮影。今は矢が刺さった陣盾はなくなった模様。
陣盾に突き刺さった矢
並べられた長椅子
大一大万大吉の陣幕
兵糧と書かれた暖簾
一般の建物が二棟
入り口にコールダック
写真には写っていないが、
門には馬二頭の置物
中に入るとそこは一般宅であった。
入場料は前払い500円(大人)。
そのまま玄関を上がると、右手にある甲冑のある部屋に案内された。

主、よく来たな。いらっしゃい。
遠目でもう一枚
甲冑展示と聞くと、綺麗で絢爛豪華な武将級の甲冑がどーんと並ぶ景色を想像しただろう。
実際にそういった施設も近くにあるが、ここには足軽の甲冑や陣笠がメインに並んでいる。手前側には陣盾に乗せられた鉄砲、そして使い古された籠手がご自由に触れてください、とある。
戦国時代、または江戸時代に作られ、実際に使用した骨董品が展示されている。ご自由にどうぞ、と置かれている籠手もかなり使い古されており、家地には血の跡も見られる。

もはや骨董品レベルのものに触れられるとは
例えば、この部屋の中央にある甲冑の前立てには、石田三成と同じ家紋である下り藤が刻まれている。右側の足軽の陣笠には石と書かれており、石田軍のお貸し具足(言わば戦用のレンタル甲冑)とみられている。


ほほう、と眺めるたびに新たな発見がある
石田軍に縁がある甲冑の部屋を出ると、一見、なんの変哲もない陣笠を案内された。黒塗りの陣笠であるが、よく見ると何か龍のような紋様がある。以前は龍が描かれていたが、なんらかの理由により上から新たに塗り直されたようだ。
龍紋を掘って、自身のシンボルにしていたが新たな主人に見つかって、泣く泣く塗りつぶした…なんてエピソードさえふと思い浮かべてしまう。

中央下の部分に注目。光が当たる部分に紋様が見える

頭形兜の表面に傷跡が見える

元々は赤備え(赤く塗られた)だった胴
銃弾が貫通した胴や黒く塗りつぶされた元赤備えの胴、銃弾が擦ったような傷跡が残る兜、血痕が残った籠手。
戦の激しさを物語っており、命かながら戦場を駆け抜けたかもしれない。鉄板で作られている胴が貫通していることから、この主人は戦場でそのまま果てたのかもしれない。…戦場を駆け抜けたその次の瞬間、ズドンと空を撃つ轟音とともに鈍く走る痛みと鉛のように重くなる体とともに視線が宙を駆ける。意識が薄れゆく合間に浮かんだのは残してきた家族か家臣か、はたまた自身を取り立ててくれた主人か…そんな悔しさに歯をギリッと噛み締めて命果てる刹那さをふと思い浮かべてしまう。
戦利品として勝ち取った赤備え(赤備えは当時、特に勇敢な隊に対して使用した説もある。赤故にまず狙撃対象になる。弾丸よりも早く打ち取れる勇敢さを讃えたもの、ともされる)を泣く泣く塗って使ったのかもしれない。持ち主がちゃんといて、持ち主とともにこの戦場を駆け抜けてきたしっかりとした証が刻まれている。リアルに残されているからこそ、よりその生き様が浮かんでくる。

平笠
お話を伺うと、美濃地方や近江地方からの個人所有だった甲冑を手入れして展示しているそうだ。
甲冑だけではない。
平笠と呼ばれる平民が被っていた、まっ平らな笠は元々は書物で、その上に漆が塗られて被り物となったものもあるそうだ。実際に机の上には修復中の平笠があり、何層にも重ねた書物を見ることができた。
奥の部屋に行くと、これでもか、と言うほどの甲冑たちに出会えた。



すべての甲冑がその時をありのまま伝えてくれる
一番奥には丸十字紋が入った甲冑が展示されていた。鹿児島では黎明館か、仙巌園あたりにあるだろうが、この遠く離れた関ヶ原で見られるとは思わなかった。


丸十字紋。まさしく薩摩の証

布製の烏帽子

甲冑だけでなく、武器や烏帽子も展示
甲冑ひとつひとつを丁寧に説明していただけた。
博物館と比べそれほどの広さはないものの、じっくりとまた見てみたいような気持ちになった。
土日は観光客が多いため混み合うが、平日(閑散期は予約制につき注意)ならばゆっくりとガイドを受けることができるのでオススメだ。
なお、甲冑の着付け体験もできる。本歌の甲冑を着ることができる場所は全国でも数少ない。ずっしりとくる重さを体感する貴重な機会だ。

最後に紹介された赤備え。どちらも赤備えだがこんなにも違う
甲冑をゆっくり見て40分ほど。
そろそろお昼の時間だ。
甲冑館には食事処「兵糧」が備えられている。
このような場所だから、食事は観光地価格でそれなり、と思うかもしれない。
だが、それは良くも裏切られた。

このテーブル、実は陣盾である。しかもピッチャーには薩摩の足軽のイラスト。中にはレモン入りの水
先客が居たため自席の写真で失礼するが、大きな陣幕が張られ、テーブルは陣盾。戦国を思わせる高揚感たっぷりな音楽が流れ、中央には囲炉裏がある。軽く戦国のコラボカフェに来たと錯覚してしまう。これで甲冑武者が出てきて「殿、湯漬けでござる」と出された暁には勢いよくかっ込んで出陣できそうだ(実際に芋粥があり、人気メニューのようだ)。
ランチはご飯ものや麺類と様々だが、以前は日替わりの足軽定食もあったようだ。麺類のうどんも石田三成、徳川家康と名付けられ東西の違いが楽しめる。
関ヶ原に来たのだ。ここは西のものが食べたい。

石田三成(きつね)うどん。並盛り1200円。
きつねうどんだが、飛騨牛のお肉がたっぷりと入っている。地産地消のようで、ここで飛騨牛が食べられるのは嬉しい。
つゆは透き通った関西風で、何処か九州に近い甘さを感じた。甘さもありながら生姜が効いておりピリッと味を引き締めている。お肉は程よい歯応えで噛むほどに脂の甘みが感じられる。
そして、このうどんがツルツルの喉越しなのである。しかも時間が経っても伸びずに最後までコシを楽しめた。
他にはこんにゃく田楽や囲炉裏で楽しめる馬肉メニューもあるようだ。
食後には黒糖とクリームたっぷりなラテで締めた。

遠距離の移動と寒さを癒してくれた、ごちそうさま。
他には甘味メニューもあり、なかでも兵糧丸に目を惹かれた。次に来る時の楽しみである。
だいぶゆっくりとしてしまったが、それだけ居心地の良い場所であった。
関ヶ原を訪れたいと思う場所が増えた。是非とも足を運んで、当時の武士のありさまをリアルに感じて欲しい。
関ケ原戦国甲冑館・兵糧
〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原950−2
月曜定休、冬季平日は予約のみ
※兵糧はイベント時は時間変更、定休あり。詳細はX(Twitter)をチェック。

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突如放たれた矢。放ったのは徳川か、黒田か、はたまた…?!

突然現れたコールダック。お主、島津に付くか?
突如現れた、矢が刺さった陣盾。
ここは一体何処だ。

本記事は鹿児島県日置市・岐阜県不破郡関ケ原町兄弟盟約60年記念記事である。
前編の薩摩由縁の史跡巡りはこちら
ここは関ヶ原である。
島津陣に立ち寄った後に、今回一番心待ちにしていた場所があった。
関ヶ原戦国甲冑館である。
ただの甲冑展示施設ではない。個人所有の本歌の甲冑が約40領展示されている。
すでに8キロ以上歩いていたが、軽い足取りで行った先には、

住宅地に現れた幟旗の数々。小径に入っていくと

おおぅ、と圧倒されながら入った
※令和5年11月24日撮影。今は矢が刺さった陣盾はなくなった模様。
陣盾に突き刺さった矢
並べられた長椅子
大一大万大吉の陣幕
兵糧と書かれた暖簾
一般の建物が二棟
入り口にコールダック
写真には写っていないが、
門には馬二頭の置物
中に入るとそこは一般宅であった。
入場料は前払い500円(大人)。
そのまま玄関を上がると、右手にある甲冑のある部屋に案内された。

主、よく来たな。いらっしゃい。
遠目でもう一枚
甲冑展示と聞くと、綺麗で絢爛豪華な武将級の甲冑がどーんと並ぶ景色を想像しただろう。
実際にそういった施設も近くにあるが、ここには足軽の甲冑や陣笠がメインに並んでいる。手前側には陣盾に乗せられた鉄砲、そして使い古された籠手がご自由に触れてください、とある。
戦国時代、または江戸時代に作られ、実際に使用した骨董品が展示されている。ご自由にどうぞ、と置かれている籠手もかなり使い古されており、家地には血の跡も見られる。

もはや骨董品レベルのものに触れられるとは
例えば、この部屋の中央にある甲冑の前立てには、石田三成と同じ家紋である下り藤が刻まれている。右側の足軽の陣笠には石と書かれており、石田軍のお貸し具足(言わば戦用のレンタル甲冑)とみられている。


ほほう、と眺めるたびに新たな発見がある
石田軍に縁がある甲冑の部屋を出ると、一見、なんの変哲もない陣笠を案内された。黒塗りの陣笠であるが、よく見ると何か龍のような紋様がある。以前は龍が描かれていたが、なんらかの理由により上から新たに塗り直されたようだ。
龍紋を掘って、自身のシンボルにしていたが新たな主人に見つかって、泣く泣く塗りつぶした…なんてエピソードさえふと思い浮かべてしまう。

中央下の部分に注目。光が当たる部分に紋様が見える

頭形兜の表面に傷跡が見える

元々は赤備え(赤く塗られた)だった胴
銃弾が貫通した胴や黒く塗りつぶされた元赤備えの胴、銃弾が擦ったような傷跡が残る兜、血痕が残った籠手。
戦の激しさを物語っており、命かながら戦場を駆け抜けたかもしれない。鉄板で作られている胴が貫通していることから、この主人は戦場でそのまま果てたのかもしれない。…戦場を駆け抜けたその次の瞬間、ズドンと空を撃つ轟音とともに鈍く走る痛みと鉛のように重くなる体とともに視線が宙を駆ける。意識が薄れゆく合間に浮かんだのは残してきた家族か家臣か、はたまた自身を取り立ててくれた主人か…そんな悔しさに歯をギリッと噛み締めて命果てる刹那さをふと思い浮かべてしまう。
戦利品として勝ち取った赤備え(赤備えは当時、特に勇敢な隊に対して使用した説もある。赤故にまず狙撃対象になる。弾丸よりも早く打ち取れる勇敢さを讃えたもの、ともされる)を泣く泣く塗って使ったのかもしれない。持ち主がちゃんといて、持ち主とともにこの戦場を駆け抜けてきたしっかりとした証が刻まれている。リアルに残されているからこそ、よりその生き様が浮かんでくる。

平笠
お話を伺うと、美濃地方や近江地方からの個人所有だった甲冑を手入れして展示しているそうだ。
甲冑だけではない。
平笠と呼ばれる平民が被っていた、まっ平らな笠は元々は書物で、その上に漆が塗られて被り物となったものもあるそうだ。実際に机の上には修復中の平笠があり、何層にも重ねた書物を見ることができた。
奥の部屋に行くと、これでもか、と言うほどの甲冑たちに出会えた。



すべての甲冑がその時をありのまま伝えてくれる
一番奥には丸十字紋が入った甲冑が展示されていた。鹿児島では黎明館か、仙巌園あたりにあるだろうが、この遠く離れた関ヶ原で見られるとは思わなかった。


丸十字紋。まさしく薩摩の証

布製の烏帽子

甲冑だけでなく、武器や烏帽子も展示
甲冑ひとつひとつを丁寧に説明していただけた。
博物館と比べそれほどの広さはないものの、じっくりとまた見てみたいような気持ちになった。
土日は観光客が多いため混み合うが、平日(閑散期は予約制につき注意)ならばゆっくりとガイドを受けることができるのでオススメだ。
なお、甲冑の着付け体験もできる。本歌の甲冑を着ることができる場所は全国でも数少ない。ずっしりとくる重さを体感する貴重な機会だ。

最後に紹介された赤備え。どちらも赤備えだがこんなにも違う
甲冑をゆっくり見て40分ほど。
そろそろお昼の時間だ。
甲冑館には食事処「兵糧」が備えられている。
このような場所だから、食事は観光地価格でそれなり、と思うかもしれない。
だが、それは良くも裏切られた。

このテーブル、実は陣盾である。しかもピッチャーには薩摩の足軽のイラスト。中にはレモン入りの水
先客が居たため自席の写真で失礼するが、大きな陣幕が張られ、テーブルは陣盾。戦国を思わせる高揚感たっぷりな音楽が流れ、中央には囲炉裏がある。軽く戦国のコラボカフェに来たと錯覚してしまう。これで甲冑武者が出てきて「殿、湯漬けでござる」と出された暁には勢いよくかっ込んで出陣できそうだ(実際に芋粥があり、人気メニューのようだ)。
ランチはご飯ものや麺類と様々だが、以前は日替わりの足軽定食もあったようだ。麺類のうどんも石田三成、徳川家康と名付けられ東西の違いが楽しめる。
関ヶ原に来たのだ。ここは西のものが食べたい。

石田三成(きつね)うどん。並盛り1200円。
きつねうどんだが、飛騨牛のお肉がたっぷりと入っている。地産地消のようで、ここで飛騨牛が食べられるのは嬉しい。
つゆは透き通った関西風で、何処か九州に近い甘さを感じた。甘さもありながら生姜が効いておりピリッと味を引き締めている。お肉は程よい歯応えで噛むほどに脂の甘みが感じられる。
そして、このうどんがツルツルの喉越しなのである。しかも時間が経っても伸びずに最後までコシを楽しめた。
他にはこんにゃく田楽や囲炉裏で楽しめる馬肉メニューもあるようだ。
食後には黒糖とクリームたっぷりなラテで締めた。

遠距離の移動と寒さを癒してくれた、ごちそうさま。
他には甘味メニューもあり、なかでも兵糧丸に目を惹かれた。次に来る時の楽しみである。
だいぶゆっくりとしてしまったが、それだけ居心地の良い場所であった。
関ヶ原を訪れたいと思う場所が増えた。是非とも足を運んで、当時の武士のありさまをリアルに感じて欲しい。
関ケ原戦国甲冑館・兵糧
〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原950−2
月曜定休、冬季平日は予約のみ
※兵糧はイベント時は時間変更、定休あり。詳細はX(Twitter)をチェック。
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