どーも、全力坊主です!

私、今年度夢がひとつ叶います!
そう、関ケ原戦跡踏破隊に参加させてもらえることになったのであります!
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なんと今年から若干名ですが、大人も募集がありまして・・・
黙ってられず武将隊の義久と私忠良の2人エントリー!
(もちろん参加費自腹であります)

関ケ原戦跡踏破隊とは、関ケ原合戦の歴史を学び、島津勢の退陣退路(岐阜県~滋賀県~大阪)の一部約30kmを2日間で踏破するもので、先人の偉業を体感しつつ、鹿児島三大行事「妙円寺詣り」を現代まで継承している歴史的価値を実感するものであると考えます。また宝暦治水の偉業にも触れ、先人の偉業を学ぶことにより郷土愛を育む青少年教育事業であります。




関ケ原合戦における島津勢の退陣退路・・・「島津の退き口」
「関ケ原の戦い」における終盤の最も有名なエピソード
関ケ原の戦い屏風

総崩れした西軍の中、敵方主力徳川本陣に向け「歴史上、類を見ない前進撤退・敵中突破」を決行した島津義弘公率いる島津軍
一説によると敵中突破へ向けて走り出した軍勢は「300人」程だったとか
義弘公騎馬像
伊集院駅前の島津義弘公の騎馬像
まさに、徳川本陣に向けて
「あの猛勢の中に、あいかけよぉぉぉ!」
と、突撃する瞬間を描いたもの
めちゃくちゃカッコイイです

徳川方は3万・・・

100倍の敵に対し突破を試みたことになるんですね
先人である薩摩隼人の心境は…考えただけでも胸が熱くなります!

島津軍は、島津豊久公や長寿院など多くの犠牲をだしながら幾多の苦難を乗り越え、薩摩にむけて進みます。大阪城に人質としていた義弘公の妻「宰相夫人」と兄義久の娘であり息子忠恒の妻である「亀寿姫」を救出し薩摩にかえるのですが、このエピソードも胸アツであります。
自分たちの命も危ないのに・・・めっちゃカッコイイっス!!!
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関ケ原戦跡踏破隊は、岐阜県関ケ原町から大阪城までのルートを辿ります
もう今からワクワクがとまりません

今回で65回!
こんなすごい「薩摩の教育」をもっともっと広く知ってもらいたい
そんな想いで、武将隊「島津忠良」と「島津義久」の2人参加します
武将隊2トップ
(関ケ原の合戦には参加していない武将2人ですが・・・)

現在色々と戦略会議中。
今後、ひおきとで詳細情報を発信するので注目していただければ嬉しいです!

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