どーも、Yoshihisaです。
今回で66回目となる関ケ原戦跡踏破隊。
その踏破の軌跡を伝えようと記事を書いてみた。
どちらかといえば言い訳③が主な原因になるのだが、それでも去年はなかった体験がちょっとはあったのだ。
その1:養老の滝に行ったぞ!

養老の滝といえば「滝から流れ落ちる水がお酒になった」という伝説があるあの滝だ!居酒屋の名前にもなっている。去年はスケジュールの関係で立ち寄ることができなかった。
ここを訪れたのは2日目。往復約2キロの道のりと聞いていたので、踏破前のウォーミングアップと意気込んで臨んだのだがかなりキツかった。
というのも傾斜がキツい。まさに山道でとても甲冑を着て登るもんじゃない。登りきった先で見た滝は絶景だったが、今度は普通の格好で登りたいと心から思った。
ちなみにここは島津の退き口とは関係ないが、薩摩義士の史跡が多くある岐阜県養老町の名所ということで寄らせてもらった。
その2:万博に行ったぞ!

ミャクミャク!!!
今年は大阪関西万博が開催される年。
奇しくも関ケ原戦跡踏破隊の行程は大阪城で祭文を読み上げることで幕を閉じる。
となれば行っちゃうしかないのである。
しかも、1970年に開催された大阪万博にも踏破隊は立ち寄っていたのだ!
今年で66回目となる踏破隊だからできた2回にわたる万博参加となった。
その3:武将が応援に来たぞ!

踏破隊4日目の朝、踏破に向かおうと宿を出ると、そこには武将が立っていた。
令和のこの時代に、そんな体験をできる人は何人いるだろうか。
とにかく、フル装備の武将が我々の出立を見送りに来てくれてたのだ。
聞けば、踏破隊の噂を聞きつけ、わざわざ愛知から応援に来たという。
身内が鹿児島出身で、自前の甲冑も島津を購入したというのだ。
こんなに嬉しいことはない!
しかもちょっとだけ一緒に歩いてくれた。
とりあえず出立の前に一緒に記念写真を撮ってみたが、
こうやって見ると、いかに私が軽装で楽してるかバレてしまう。
その4:本物の力士に会ったぞ!

ある薩摩義士が眠るお寺に寄ってみると、次は力士が出迎えてくれた。
なんと出会いの多い旅路であるか。
聞けば近くの相撲イベントに参加したというこの力士、踏破隊を応援に立ち寄ってくれたのだという。
力士の名は美ノ海(ちゅらのうみ)。
その名のとおり沖縄出身の力士だ。
しかし、日置市とも縁があるという。
というのも美ノ海、伊集院出身の禧勢岳(禧集院)の弟弟子だというのだ。
実は私、禧勢岳とお会いしたことがある。
だいぶ前に吹上で行われた大相撲吹上場所。
そこでの取組で白星をあげていたのだ!
当時、市の広報だった私はその取組を間近で見ていたのだ!
広報ひおきVol165
8ページの記事参照。
ちなみにこの号の特集は島津義弘公没後400年だ!!
久しぶりに自分が書いた誌面を読んだが素晴らしい出来栄えだ!!

というわけで、今回の踏破もさまざまな出会いがあった。
写真にはおさめてなかったが、昨年武将隊のサインを求めてきた女の子とも再開した。
1年ぶりだったが変わらず島津ファンだった。
きついきつい踏破の旅だったが、こんな出会いが癒してくれる。
大人の私でさえ感動するのに、いわんや子どもたちをや。
この短い旅路でどれだけ感動を抱き、そして成長しただろう。
1か月そこらの夏休みに、この5泊6日は大きな意味を持ったはずだ。
この先も踏破隊は紡がれていくだろう。
さぁ、可愛いい子には旅をさせよう!!
今回で66回目となる関ケ原戦跡踏破隊。
その踏破の軌跡を伝えようと記事を書いてみた。
その記事の中で「このひおきとブログでちょくちょく近況を伝えるのでチェックするべし!」と豪語していたが、、、
申し訳ない!全く書いてなかった!
言い訳①:甲冑着ての踏破で疲れきってた。
言い訳②:Wi-Fi環境がちょっとだけなくて、写真をアップしにくかった。
言い訳③:去年も書いていたので、記事ネタが思いつかなかった。
どちらかといえば言い訳③が主な原因になるのだが、それでも去年はなかった体験がちょっとはあったのだ。
その1:養老の滝に行ったぞ!

養老の滝といえば「滝から流れ落ちる水がお酒になった」という伝説があるあの滝だ!居酒屋の名前にもなっている。去年はスケジュールの関係で立ち寄ることができなかった。
ここを訪れたのは2日目。往復約2キロの道のりと聞いていたので、踏破前のウォーミングアップと意気込んで臨んだのだがかなりキツかった。
というのも傾斜がキツい。まさに山道でとても甲冑を着て登るもんじゃない。登りきった先で見た滝は絶景だったが、今度は普通の格好で登りたいと心から思った。
ちなみにここは島津の退き口とは関係ないが、薩摩義士の史跡が多くある岐阜県養老町の名所ということで寄らせてもらった。
その2:万博に行ったぞ!

ミャクミャク!!!
今年は大阪関西万博が開催される年。
奇しくも関ケ原戦跡踏破隊の行程は大阪城で祭文を読み上げることで幕を閉じる。
となれば行っちゃうしかないのである。
しかも、1970年に開催された大阪万博にも踏破隊は立ち寄っていたのだ!
今年で66回目となる踏破隊だからできた2回にわたる万博参加となった。
その3:武将が応援に来たぞ!

踏破隊4日目の朝、踏破に向かおうと宿を出ると、そこには武将が立っていた。
令和のこの時代に、そんな体験をできる人は何人いるだろうか。
とにかく、フル装備の武将が我々の出立を見送りに来てくれてたのだ。
聞けば、踏破隊の噂を聞きつけ、わざわざ愛知から応援に来たという。
身内が鹿児島出身で、自前の甲冑も島津を購入したというのだ。
こんなに嬉しいことはない!
しかもちょっとだけ一緒に歩いてくれた。
とりあえず出立の前に一緒に記念写真を撮ってみたが、
こうやって見ると、いかに私が軽装で楽してるかバレてしまう。
その4:本物の力士に会ったぞ!

ある薩摩義士が眠るお寺に寄ってみると、次は力士が出迎えてくれた。
なんと出会いの多い旅路であるか。
聞けば近くの相撲イベントに参加したというこの力士、踏破隊を応援に立ち寄ってくれたのだという。
力士の名は美ノ海(ちゅらのうみ)。
その名のとおり沖縄出身の力士だ。
しかし、日置市とも縁があるという。
というのも美ノ海、伊集院出身の禧勢岳(禧集院)の弟弟子だというのだ。
実は私、禧勢岳とお会いしたことがある。
だいぶ前に吹上で行われた大相撲吹上場所。
そこでの取組で白星をあげていたのだ!
当時、市の広報だった私はその取組を間近で見ていたのだ!
広報ひおきVol165
8ページの記事参照。
ちなみにこの号の特集は島津義弘公没後400年だ!!
久しぶりに自分が書いた誌面を読んだが素晴らしい出来栄えだ!!

というわけで、今回の踏破もさまざまな出会いがあった。
写真にはおさめてなかったが、昨年武将隊のサインを求めてきた女の子とも再開した。
1年ぶりだったが変わらず島津ファンだった。
きついきつい踏破の旅だったが、こんな出会いが癒してくれる。
大人の私でさえ感動するのに、いわんや子どもたちをや。
この短い旅路でどれだけ感動を抱き、そして成長しただろう。
1か月そこらの夏休みに、この5泊6日は大きな意味を持ったはずだ。
この先も踏破隊は紡がれていくだろう。
さぁ、可愛いい子には旅をさせよう!!

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